近頃また「町の拝み屋」風情の存在が増えているらしい。目に見えないものであろうからと括りつけ、思い付きの適当な内容を自分しか見えない世界だと言い切り続け、何とか思い込ませることを生業とする者達。つまり小さなペテン師や思い込みの激しい病の者、人の気をひきたい寂しがりの者達などである。
しかし、残念ながら所謂「その世界」には歴としたルールが絵空事や架空物語の知識の外に、現実世界のものとして存在している。
そしてそのルールにのっとってある種の法力を用いる時に絶対的な条件となるのが、
【印を持っているかどうか】
ということになる。
術には系譜というものがある。
当然にそれを用いるに正当な印というものは、現代社会であれば科学的にもきちんと立証出来るスタイルで、その物理的証拠を提示出来ることを可能としなければ、例えその法力の手法が同一であったとしても効力が無いのである。
これは効力を構成する要素区分を確りと理解出来ていなければ納得のいかないことになるかとは思うが、この印(正真正統であることが条件)の所有と提示立証能力こそが、術としての効果の有無の大半を決めるのだと言っても過言ではない。
例えばそれは像であるかも知れない。例えばそれは刀であるかも知れない。法力を用いる者があれば、その印を確かめよう。
正当な者には、秘伝であろうが何だろうが必ずや何らかの印を伝承してある。
そうでなければ、法力の根本が途切れているということになるのだ。
当然これを偽装してくる強者も居るのだが、騙してもそれがどうした?というのが法力の世界である。
偽りによって騙すことには成功しても、思い込み以上の効果をあげることは出来ない仕組みになっている。
