どの記事だったか、一心であることを条件として書いた。
質問があったので言っておくが、この心は神仏に見せる心としてのものであり、本人の思いとは別の場合がある。
つまり本人が如何に一心であっても、また一心であるというlogicを組み立てようとも重要なことではないということ。
主体はあくまで先方にあるのであり、例えば一心ではないということを悟られても御仕舞いであるし、またそれを疑われた時点で事は完結してしまうということになる。
一心は自らの心の問題だけではなく、所作や言葉等まで含めて、相手のみる一心と一致させるところまでを言うのである。
