術法を学ぶに未熟な例として、使えないものを己の責とせず術が弱いのだと、もっと特別な強い術法はないものかと求める形がある。
自己に慢がある証拠であり、何よりも磨くべきは自己そのものであるにも関わらず、常に自分を更に上へと押し上げてくれる特別なものはないかと探している。
当然そんなものはこの世にはなく、あってもそれは思い込みで自我の見せる幻に過ぎないということを知らねばならない。
そのような意味合いにおいては術法に基礎も奥義もなく、己の精進の在り方によってその効果はαにもΩにもなり得るのだ。
特別は既に、目の前に出してある。
