喜捨は純粋によき懺悔行であるとはいえ、その行き先が私利私欲であってはならない。
例えば術によって恩恵を受けたのであれば、それをきちんと返さねば運を使い果たして尽きるということになる。
原因があって結果があるのが常として、原因をそのままに術法によって一旦の結果を改善させるわけだ。当然そのtensionは後にずれて強化されるということになる。
だがそのtensionはあくまで、原因が人体に変容して結果をもたらすものであるため、懺悔行ということでそれを逃すことが出来るのだ。
懺悔行のやり方には様々なものがあるが、一般の方に儀礼術式的なものでは先ず効果がない。
最もシンプルで明確な効果は布施や喜捨でこそ得られるのだ。さもなくば自我を放棄し徹底した善行を積むことだ。これが本来の形である。
寺院の多くはこれを私腹を肥やすための料金システムにしたから腐った。
だからロンは術を依頼されるに基本的には代金をとらない。お近くの方々は皆ご存知の通りだ。
ただし喜捨を申し出られればそれは彼等の懺悔行となるので受ける。そしてまた難民に寄付をする。彼等の善行になるからだ。それが結局は自分の幸せになるのだということが理解出来れば、諸々が如意となる道が見えてくることかと思う。
