如意宝珠について

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先日の記事以降、是非ともという声が数件あったが、護持するにはやはり価値観のハードルが高いはずだ。

つまり外見は何処にでもある小さな玉に過ぎず、一般人に偽物との区別はまずつかない。

法王から直接のものであり、正真の仏舎利を宝薬と聖物で練り固め、数百年に渡って日夜欠かさぬ術をかけ続けられた人類の宝である。
だが一般的な外見はただの玉だ。

中国の富豪達はこれを得るために数億円の対価を支払ったが、今の日本人の多くに、この不可思議なものに対して最低でも50万円からの御布施が可能だろうか。
御布施はつまり喜捨である。喜んで浄罪への寄付が出来るのかどうかということだ。
物質世界の損得勘定の中にあっては先ず理解が出来るものではないだろう。
純金よりも遥かに尊いのだ。

宝珠は行き先を自ら選ぶとされるが、このような壁を越える者のところにしか行かないのだから当然の歴史だったとも言えよう。

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  2018年10月11日 8:55

 


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