チベットなどでは日本のような先祖供養の概念は無いが、ロンの術式の中には供養がある。
術法というものは環境に流れるエネルギーの在り方による六大から成るものであるために、それが生きている日本での術法ということになれば当然に供養もやらなくてはならないのだ。
重要なことは儀式的な作法の手順ではなく心だなどということは古来から言われてきたことであるが、昨今の人達が自己都合から語るような、例えば心でいつも想っているのだから特に何もしなくても良いのだなどというような理屈は通用せずで、これは供養というに値しないものだ。
供養は生きる我々の力となる。
是非確りと行って頂きたいと考えている。
