自我への執着が強いと、どうしても自分の頭のフィルターを通す。
自分は自分としてそれは結構でもあるのだが、学びの場におけるそれは致命的な遅滞をもたらすことになる。
やらなくてはならないことになぜが常に付きまとうわけだが、その結論を下す主体が
これまでそれをやってこなかった自我である。
建設的な答えを出すのは至難のわざだ。
学びの内容とは外部情報である。
自我とは内部と外部を隔てる壁である。
自我は自らの思考を高いものと認識するが、外から観れば自己解釈の中でのみの満足感に酔うだけのボンクラであるとされる。
何かを学ぼうとしても、直ぐに我流になったり身に付かなかったり。何だかんだとやらない理由が出来たり。
そんな時には先ず、自らの自我の執着を疑ってみると良いだろう。
