力ある者からの利益を呼び込む為には、先ず一心にその名を呼ばねばならない。
移り気を悟られては終息で、それ以上は進まぬ。
そこに自我の入る隙はなく、私の道などを模索した者にその力は降りてはこない。ただ一心に力ある者の御心を想い、呼び、荒ぶるを鎮め、すがる。
力ある者の荒ぶるに理由を追う意味もない。言い訳やら正当性やらは全く意味を成さない。
だからこそに先に供えを行い、清め、奉り仕える(奉仕)。
ただ一心に力ある者の御心を想い、呼び、荒ぶるを鎮め、すがる。
誠意を疑われたら仕舞いとなり、祟りを呼ぶこととなる。
神も人も同じことである。
