梅花無尽蔵に一心に委ねすがれと説くが、一般的なこととして盲信は危険視される。
ここでは晶永先生もよく断じてあるように、単に責任を転化するだけのヌルイ依存は人間を堕落の道に落とす。
梅花無尽蔵が求めるは次元が違うぞ。
無意識やら細胞のレベルから絶対的な帰依をせよということで言っている。
100%の帰依など、いかなる聖人でも叶うものではない。だから1%でも委ね、すがるための精進であり一心であるのだ。
危険かどうかのリスク判断は自分の頭でやればよい。少なくとも神咒を口に出すに金はかからぬはずだ。
梅花無尽蔵への一心を貫くのをよしとせぬ某宗教家風情が、盲信は危険だと薄ペラな理屈で反対したそうだ。だからわざわざに書いた。
念のために書いておくのだ。
いちいち揺らぐような心にマコトはない。
鰯の頭くらいの信心ならば、病気になって倒れる方がまだ幸せである。
一心に、委ね、すがるのだ。
