実はさっきのお話には続きがあって、出来ないからやる気がないのだろうという言葉があった。
術法として本当にやるからこそに現実的な実費として必要になる、それも初期費用を想定したに過ぎないのだが、先方にあったのはそういった現実的な想定ではなかったらしい。
魔法の力を、手の届く位の「現実的な」金額で、魔法として見せて欲しい。
つまり神仏とやらに、懐が痛まぬ程度に幾らかを恵んでやるから、宴会芸をやってみろ。
そういうことだ。
残念なことだが、ロンの観る神仏とは物理現実であって非現実的な存在ではなく、心やら思い込みのフリカケのようなものではない。
フリカケで良ければそれも提供できるが、フリカケで人類の命が救えるものか。
しかも、そんな人の心には神仏を生成し得る菩提心という種もない。
だからフリカケが霊験へと昇華しないのだ。
神社のお賽銭もフリカケの一種だが、菩提心があればなんとかなる。
目を覚まさなくてはならない。
通力は使役される下層のものでもなく、一心による観音力だ。
フリカケを差し出せば、フリカケがかえる。
命を差し出せば命がかえるのだ。
