あの時あれがあったからこそ今があるという。
過去の自分を正当化出来る発想でもあり、色々なものを乗り越えたりするに便利な方便ではあるが正しい考えではない。
あの時のあれは単に現在からみた過去の中にある要素の記憶でしかなく、そこからの因果は固定化されたものではないのだ。
あの時のあれは現在を作っている情報の1つではあるが、その通過は絶対条件ではないし固定化されたものでもない。
例えばあの時転んだからダイヤモンドを拾って大金持ちになったとする。
ダイヤモンドの取得を軸にとれば転ぶ以外にも取得の方法論はいくらでもあるし、大金持ちを軸にとっても大成の方法論は無限となっているはずだ。
つまり未来の可能性は常に非常に広い可変域と流動性を持っており、過去は未来から見た記憶概念的な要素に過ぎないということだ。
例えばダイヤモンドの話に戻れば、転ばない人の手にはダイヤモンドも大金も入ってこないのだろうか?そうではない。当事者だけの記憶のお話であって当たり前だ。
そうかと聞いてあなたも転んでみるだろうか。
過去の因果など何の縛りにもならないということ。
