釈迦やキリストも一喝したと言われるが、祈願などと言うと必ず出てくるのが
「じゃあ○○してみろ。宝くじが云々」等だ。
古来返答に苦悩したという人の話を聞くこともあるが、ロンは問題なく祈願することはするようにしている。
ただし聞き届けられ難いというのは如何ともし難いところで、祈願の成就というものには神仏の存在に対する確実性というかリアリティーが大前提になってくる。神仏の存在そのものに疑念ばかりを持つ現代の日本人に、簡単にそれが降りるだろうか。
例えばそうだなぁ、そこに大好きな芸能人からもらったプレゼントがあるとする。手袋だ。
頬擦りする程に愛おしく、その芸能人を更に想うようになる。彼、彼女が「頑張ろうね」と言えばどれだけでも頑張れることだろう。
ところがある日ニュースで、その芸能人の存在そのものがCGだったことを知らされる。
送られるプレゼントはいつも、係の醜いオジサン達がホームセンターで買ってきて梱包していたことを知る。
こんな感じでどうだろうか。
確信が持てたらそれで当たるのか叶うのかと言えば話はそう単純でもなく当たり前にその先の世界があるのだが、先ずもって物事を祈願するにその成功率を上げるための大前提として、祈願お試し結果払い程度のリアリティーで効果が上がるわけもなかろうがということ。
神仏の力、祈願の力は紛れもなく物理法則の中にある現実的な力なのだ。
祈願試しはそもそもその土台からが崩れているということになる。
因みにロンは宝くじを買わない。
当てるための祈願のエネルギーが、同額の金銭を得るためのエネルギーに等しく、またそちらの方が遥かに効率的なリアリティーを感じているためだ。
