本やらYouTube等でたくさんの知識が得られるようになったが、術法に関する肝はそこでないことを常に言っている。
スピリチュアルな世界になればその知そのものが、何らかのツールや宝物であるかのようになるのであろう。やれ作法であるとか儀式や神の名であるだとか、世の中の情報には実に様々な内容が溢れている。
大切なことは当然であるがそれではなく、術脈と法である。
感性が鋭ければ尚素晴らしいが、自我が立つようであれば鈍感な方がマシであろう。
また術脈を通すには系譜と正統な印が必要であり、例えばかつてのオウム等にはそれが無かった。彼らは熱心な知識と法の修行者研究者ではあったが、系譜の天辺が教祖であったために術脈が貧弱で、結局は地獄への道となり何も得ることが出来なかった。
知識への欲求もまた自我である。
